楽園追憶

日々のオタクコンテンツの感想や、昔のpcゲーについての思い出を書くブログ

俺たちはかつて、雑誌だけ舐めるように読んで遊んだ気になっていたんだ

レトロパソコン時代の思い出

 

 タ、タイトル、パクリ…!(愕然)。ごめんなさい(平謝り)。

 

 で、不倒城さんのこちらの記事を大変楽しく、かつ、自分の小学生のパソコン少年時代を思い出しながら読ませていただいたわけです。

mubou.seesaa.net

 僕の場合、これ、完全に初期のパソコン雑誌だったなぁって。

 

ログインとoh!FM

 

 …

 パソコンってのは大変高価でした。

 まだパソコンってものが世に出始めたばかりで、アメリカではapple2が売られてウィザードリーとかアルティマ(今ではウルティマと翻訳されているゲームは国内紹介当初、雑誌とかでも”アルティマ”と字を当てられることが多かった)とかのRPGとかいうなんだが楽しげなゲームが流行っているという…そんな時代。

 もろもろ含めて20万だか30万だかかかるというapple2なぞ買えるわけもない(というか地元のパソコンショップ程度では実物さえない)し、さりとて国内のPCだってNEC富士通が出しているマシンだって10〜20万はするわけで。

 

当時のNEC広告

 

 子供の手の届く品物ではない。

 新しもの好き、コンピューター好きでデパートのパソコン売り場に通い詰めて店員と仲良くなるぐらいパソコン少年だった私にとって、パソコンは憧れのまとで、宝物で、きらめく星のようなアイテムだった時代。

 

 そんな中、私のようなパソコン少年はそれぞれお気に入りのパソコン雑誌をなめるように読んでいたのである。

 

 国内のパソコン情報を幅広く扱うログイン、少し初心者向きの情報を扱うポプコム、エッチな福袋でも有名だったがロードス島戦記のリプレイや巻末のマンガなどオタクよりの記事をいち早く載せていたコンプティーク、ゲーム系の情報には特に強かったテクノポリなどなど…

 そんな中、当時小学生であった私が特に愛したのが、ある意味でパソコン雑誌業界でも異色で尖っていた遊撃手であった。

 

遊撃手表紙

 

 うまく言えないが、ヒトコトで言うなら「サブカルパソコン雑誌」とでも言おうか。

 主な記事は海外のゲームだった、ただのゲームレビュー記事ではなかった。

 当時のパソコンというアイテムが、まだ世の中には浸透せず、海とも山ともつかない性質からその存在自体がサブカルめいたものがあったのだが、遊撃手は海外ゲーム中心という他のパソコン雑誌と比べても尖ったものを扱いつつ、それをいろいろな映画、小説、さらにはアメリカの他文化とも混ぜ合わせた批評ともレビューともエッセイともつかないような、奇妙な、そして刺激的な記事に仕上げていた。

 正直当時の私には理解できない部分も多かったのだが、そのあまりにも情報過多な記事は、情報に飢えていた貪欲な好奇心と妄想を満たすのにぴったしであった。

 また他にも、他のパソコン雑誌を羅列して批評(というかこき下ろす)してみたり、国内ゲームを扱って見ればボロクソに言ってみたり。

遊撃手記事

 

 果ては「読者との金網デスマッチコーナー」と称して読者の意見と泥沼の貶し合いをさらしてみたり…なんというか、露悪的な部分をあえてさらすような紙面を作ったりもしていた。(ちなみに下の画像でこき下ろされている小6は私である)

遊撃手記事

 

 私は他の雑誌もほぼ全ての記事を読んでいたが、特にこの遊撃手の記事はなめるように読みまくっていた。上記した海外ゲーム記事も、露悪的といってもいい記事も大好きだったが、特にこの雑誌が載せていたウィザードリーロードランナーウルティマといった海外の有名ゲームの記事が大好きだった。

 

遊撃手記事

 

遊撃手記事

 

 そこに載せられたゲームは最初に言ったように遊ぶことなど到底できないゲームだった。だが、遊撃手の単なるレビューではない、読み物として面白い記事と、ウィザードリーの迷宮マップや、ウルティマの世界地図など、そういう記事を読み、自分がそのゲームをやっているかのように妄想し、地図に書き込みをしたり…そういうのが大好きだったのである。

 

遊撃手記事

 

 攻略記事を読むのも、ゲームのマップを見るのも、小説を読むのも、実際にゲームをやるのも、このころの妄想豊かな子供にとっては全てが「遊び」であり、楽しみだったのである。

 まあ、そんなことを不倒城さんの元記事を読んでつらつら思い出したわけである。

 

 この記事を書くにあたって、手元にあった昔の雑誌を少しだけ読み返してみたが、あらためてこの当時の雑誌には私の好きなものが詰まっている…というか、この当時の雑誌に詰まっていたものが、今に至っても俺の好きな物のベースを作り出しているといってもいい。

 いかに子供時代にすり込まれたものが年を経ても大きな存在になるかということだろう。