楽園追憶

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綿流しの日に起こる殺人

 棉流しの日には、“祟り”によって人が死に、“鬼隠し”によって人がいなくなる。
 しかし本当に祟りや鬼隠しなのだろうか?
 まあ本当のところはどうなのかはわからない。が、少なくとも祟りや鬼隠しであるという間違えようのない証拠でもなければ、祟りや鬼隠しを肯定するべきではないと思う。

 問題となるのは1〜4年目までの全ての人死が、本当に綿流しの日に起きたのか、ということと、計画的な殺人ではないのか、という2点。 1〜4年目の人死には、この両方の条件がそろっている(死に方は自殺、病死、偶発的は殺人事件であり、計画性はないにもかかわらず、かならず綿流しの日に起こる)からこそ、1〜4年目の人死は祟りと鬼隠しとされているのだから。
 ではそれぞれの事件を妄想考察してみよう。

 まず1年目の工事現場の監督殺害。
 これは警察の捜査によれば、偶発的な事件であるということだが……
 この事件では加害者が複数であること、またバラバラとはいえ遺体が見つかっている。
 当然、加害者が全て口裏を合わせたりすれば偽証は可能かもしれないが、バラバラとはいえ遺体が見つかっていて検死もされたであろうことを考えれば、それほど殺害時刻に間違いがあるとは思えない。
 よってこの事件は、実際綿流しの日に起きた可能性は高い。
 では計画性という面ではどうだろう?
 警察の調査では計画性はなかった、ということになっている。
 もちろん、警察の調査結果を疑うことはできる。上記したように加害者が口裏を合わせればいいのだ。しかし警察もそれは疑っただろうし、加害者たちの背後関係も洗ったはずだが、その結果として「計画性はない」という結果が出たということだ。
 1年目の工事現場の監督殺害事件だが、これは実際に綿流しの日に起きたのではないだろうか、と思う。
 ただ、そこに計画性はなかったのか……という点は疑わしい。
 キーとなるのは、当然、逮捕されていないリーダー格の男だ。
 まず考えられるのはこの男が雛見沢、というか園崎の関係者、または園崎からの依頼・命令などを受けていたのではないかということだ。
 ただ、たとえそうだったとしても事件は複数犯による事件だから、他の加害者が賛同が必要だったはずだ。賛同が得られない可能性もあったことを考えると、綿流しの日にかならず殺害するというのは難しいような気もするが、それは複数犯による事件を前提として考えた場合の話だ。
 つまり、そもそもこの男は一人で犯行に及ぼうと考えていたのではないかということだ。もちろん仲間は多いほうがいろいろと都合はいいだろう。だから、仲間を誘った。だが、仲間の賛同が得られなくとも、一人で犯行に及べばいいと考えていた場合は明らかに計画性があったことになる。
 この計画性の有無を証明するには、男から証言を引き出すほかない。
 しかし、男は捕まっていない。
 よって、この事件の計画性は否定できない、となる。
 
 次に2年目の事件。
 ダム推進派のリーダーであった悟史・紗都子の父親が転落死、母親が行方不明となる事件。
 これは考察するまでもないだろう。
 遺体は見つかっているのだから、死亡推定時刻もちゃんと出るはずで、棉流しの日に死んだのは間違いない。
 計画性については犯人が捕まっていないので証明のしようがないが、犯行自体は容易だったと思われるので、実際に棉流しの日に転落死したのだろう(突き飛ばすなり、無理矢理ら突き落とすなりすればいい話で、人手さえいれば出来る)。母親の行方不明についても同様で、無理矢理にでも掠ってしまえばいい。
 TIPSの新聞記事からすると、誰か転落の目撃者がいたかのように書かれていますが、これも簡単に偽証可能。犯人が「転落したところを目撃した」と言えばすむ。

 では3年目はどうだろう?
 3年目の事件は少し毛色がかわって病死だ。
 神主である梨花父親が病死、母親は自殺したと思われる(遺書があった)が遺体は見つかっていない。
 これは病死ということもあり、いかにも“祟り”という言葉に信憑性を感じてしまいそうだが、この病死も疑わしい。
 問題は、神主が死んだのが、病院、それも深夜だということだ。
 雛見沢で病院、というば入江診療所のことだろう。つまり、雛見沢内なのだ。
 雛見沢に犯行グループがいたとすれば、殺すのは容易なことだ。だが、死因をどうやってごまかすかだが……ごまかす必要はあったのだろうか?
 そも、この“病死”は警察に報告されたのだろうか?
 よほど不審な点でもない限り、病理解剖が行われたとは思えない。たとえば、入江氏が「心労からきた心臓発作」とか、そんなよくある病名(まあ心臓発作というのは原因不明とっているのも同然なのだが)を報告していたとしたら、すぐに病理解剖されたとも思えない。
 警察が綿流しに起きる人死に注意を払い始めたのは、どんなに早くても3年目からと思われるが、たとえ警察(というか大石?)が3年目から網を張っていたとしても、病死にまで注意を払っていたとは考えにくい。 1年目は明確な殺人なわけだし、2年目も他殺ともとれるものの表面上は自殺or事故なのだから。 警察の監視が強化されたのは4年目からと考えるのが妥当だろう。
 解剖が行われなかったなら、死因は入江氏がカルテに書いたそのままが、その後報告されたことだろう。もちろん、警察は後に不審を抱いたかもしれないが、その頃には遺体も火葬されて、解剖は無理だったのではないだろうか。
 また、神主の妻(梨花の母親)については、遺書など偽造しればいいだけだ。限りなく怪しい物証と言える。これが自殺ではなく誘拐と考えれば、遺書が偽造されたものである可能性は大きいと言える。

 さてここまで1〜4年目の棉流しの日の人死について妄想考察してきた。

 だらだらと書いて、一体何が言いたかったのかとというと、雛見沢以外の人間による証明、もしくは検死による死亡日時の特定がなければ、死亡時刻を偽装することはさして難しいことではなく、それをもって祟りの証拠にはならないということだ。
 死亡場所が雛見沢で、検死等の立証手段がない場合の死亡日時など、村ぐるみで口裏を合わせればいい。 または事実を知る一部の人間が、口裏を合わせて周りに嘘をつくということでも可能。
 もちろん断定はできないが、そう解釈可能なら祟りの証拠とはならない。

 問題となるのは4年目および5年目の殺人だろう。
 4年目の殺人。
 警察は犯人を捕まえてはいるが、この人物が真犯人なのかどうかはなはだ疑問だ。
 そもこの人物が警察によって犯人と断定されたのは、大石の言によれば自供(犯人でないとわからないこと)によるものらしい。 自供と状況証拠が根拠では、雛見沢で起きた殺人事件の犯人とする証拠にはならない。しかも犯人とされた人物は、その後、死んでいるのだ。
 まず“犯人しか知らないはずの情報”というのが、この雛見沢ではあまりあてにならない。 鬼隠し編でレナが圭一の身辺で起きたことを子細に知っていたように、この雛見沢では他人を監視するなんらかの方法があると思った方がいい。
(この監視の方法については別項で考察する)

 とすれば、犯人と断定するに足る情報がどのようなことかはわからないが、それを村人(or園崎)が知らなかったとは言えない。 つまり偽証は可能だったと考えられるのだ。

 では真犯人は誰なのだろうか?
 作中でもっとも疑わしいのは沙都子の兄である北条悟史だろう。 圭一も同じような結論に至っているし、悟史・沙都子の事情に詳しいものなら「撲殺された」ということも考えれば、まず悟史を疑うだろう。
 しかし、本当に悟史が犯人なのだろうか?
 気になるのは悟史の棉流しの祭りのあとの様子だ。 魅音とレナの言によると、棉流しの後、悟史が行方不明(レナは“転校”と言っている)までの間の様子は、鬼隠し編の圭一に酷似していたという。
 これはどういうことだろうか?
 鬼隠し編の圭一は、真偽はともかくとして、富竹殺害の犯人が雛見沢にいる(というか雛見沢の村ぐるみ)と思いこみ、疑心暗鬼となって周囲に警戒心と攻撃心をあらわにしていた。 それは自分になんらかの害が及ぶという思い、有り体に言えば“恐怖”から来る防衛行為だった。
 それと悟史の様子が酷似していた、というのは……少しおかしくないだろうか?

 もし悟史を叔母殺害の犯人とした場合、悟史が警戒すべきは村人ではない。 もちろん村人に自分が殺人犯であるという事実は知られたくないだろうが、それを警戒して恐怖にかられ、村人に対して攻撃的になったりするというのは変な話だ。
 ここで悟史が一番警戒しなければならないのは、どう考えても警察で、むしろ雛見沢という共同体の体質を考えれば、同じ雛見沢の住人は自分をかばってくれるものと思ってもおかしくないのだ。
 ところが悟史は、村人や仲間(魅音やレナ)に頼るどころか警戒心をあらわにしていたという。 しかも、凶器と思われるバットを日中堂々と所持し、あろうことか武器(バット)を所持していることを誇示していたのだ。
 警察(というか大石)だって馬鹿ではない。 被害者と同じ家に住んでいた中に、バットをいつも持っていた人物がいて、しかもその人物が被害者に少なからず恨みを持っていたと思われる(認められなかったとはいえ幼児虐待の容疑をかけられた夫妻なのである)とあれば疑わないほうがおかしいだろうし、悟史もいつまでも凶器と疑われかねないバットを、所持している危険性に気付かないほど馬鹿だったのだろうか?
 どうにもしっくりこない。
 悟史を真犯人として場合、悟史の犯行後の態度は、まったくもってちぐはぐなのだ。
 しかし、これは悟史を真犯人とした場合の話だ。
 もし、悟史が殺人の犯人ではないとしたら、話はまったく違ってくる。
 悟史が犯人でないとし、棉流し後の悟史の様子についても魅音とレナが事実を語っていたとすると、悟史の立場は圭一と似通ったものとしてとらえることが出来る。
 つまり……
 圭一は殺人が村ぐるみで行われたと思い、警察(大石)と密かに通じていた自分が次の標的、鬼隠しの標的になるのではないかと恐れていた。

 この圭一と同じ立場に、悟史がいたとすると。

 悟史は殺人が村ぐるみで行われたと思い、警察(大石)と密かに通じていた自分が次の標的、鬼隠しの標的になるのではないかと恐れていた。
 ……となる。

 そして悟史は実際、鬼隠しにあってしまうのだ。
 まあ悟史が鬼隠しにあったかどうかは、本当のところはわからない。鬼隠しにあうことを恐れて雛見沢を離れたということもあり得るし、それを否定するほどの証拠がないからだ。 が、一つ確かなのは、悟史の行方不明は、雛見沢では“鬼隠し”だと思われているということだ。
(正確には鬼隠しだと思っているのは詩音、レナは“転校”、魅音は家出もあり得ると思っていたようだが)

 では本当の犯人は誰なのか?

 ……まあ、ぶっちゃけわからない。今のところは。怪しい人物はいるのだが……
 ただ、警察が捕まえた犯人も、悟史も、犯人とするにはあまりに疑わしいのだ。

 ここからは考察というよりは妄想となる。
 まず村の伝承を改めて思い出してみよう。
 村では鬼が行う犯行は黙認され、村人は鬼を助けるというものだ。
 これがこの犯行にも当てはまるなら、悟史・紗都子の伯母を殺害した犯人(鬼?)は、村人によって匿われたのではないかと想像できる。
 では警察が捕まえた犯人は?
 これは園崎家による偽装と思われる。
 その目的は?
 一つに真犯人(鬼)を匿うため、というのがあるだろう。 警察に偽の犯人を与えることで、真犯人を隠すというものだ。
 そしてもう一つ。
 それはこの殺人を“祟り”に見せかけるということだ。
 祟りと思わせるにはどうしたらよいのか。 5年目の殺人のように超自然的な力が働いたかのように見せかけるのが一番だが、簡単なことではない。 ましてや、警察によって死体を押さえられ検死も間違いなく行われたはずで、殺人手段の面からの偽装は困難だ。
 となれば祟り、と周りが思うような理由を後付けするしかない。
 つまり、まったく被害者とは関係のない人物が、突発的な殺人を犯す。 棉流しの日に。 しかも被害者は村人からはあまり快く思われていなかった人物で、不信心でもあった。
 ……だからこれは祟りなのだ、という“理由”だ。

 どんなことでもそうだが、一つでも例外が存在すれば、その他のことも疑いがかけられるものだ。 本当にスプーン曲げができる超能力者が、たまたま調子が悪い日にずるして手業でスプーンを曲げてそれが周囲に看破されれば、今までやっていた全てのスプーン曲げを嘘と思われる、というようなものだろう。

 綿流しの日に殺人が起きないのならいい。 その年はオヤシロさまの逆鱗に触れるものがいなかった、だから祟りは起きなかったと説明できる。 だが、綿流しの日に人が死んだ以上、それが他殺であれ自殺であれ事故であれ病死であれ、祟りでなくてはならない。 そうしなければ、数年がかりで築いてきたオヤシロさまの威信(?)が傾くことにもなりかねない。 ましてやこの殺人は梨花の予言(というか何者かの予定)にあるものなのだ。
 だから祟りでなくてはならない。

 そして村人は4年目の殺人も祟りと思いこむ。
 何故そこまで“祟り”、というかオヤシロサマの威信を保つ必要があるのかは……現時点ではわからない。
 しかし、4年目までの殺人の理由の一つに、オヤシロサマの威信(祟り)を保つことがあったのは想像に難くない。

 では5年目の殺人は……どうだろうか?
 それはまた別項で妄想してみよう。